—工都—、戦前から工業や科学研究が盛んな板橋区は、そんなふうにも呼ばれていました。そんな工都の原点となった史跡が板橋区加賀に残っています。国史跡「陸軍板橋火薬製造所跡」は加賀公園、旧野口研究所、旧理化学研究所の3地区からなり、板橋区史跡公園(仮称)として整備される予定です。ここでは旧理化学研究所の遺構にクローズアップします。
日本の近代化へ貢献
国史跡「陸軍板橋火薬製造所跡」
板橋区加賀は、江戸時代、21万坪に及ぶ加賀藩前田家の下屋敷が広がっていた地域です。明治9年(1876)、明治新政府はこの跡地を利用して、日本初の官営火薬工場「陸軍板橋火薬製造所」を設立しました。終戦まで火薬の製造と研究の中心地として、稼働していきます。終戦によって稼働終了した板橋火薬製造所、その18万坪の跡地はGHQが管理し、希望する民間の企業、学校、研究機関に貸し出すかたちで戦後の社会がはじまりました。野口研究所と理化学研究所はその団体のひとつ。昭和46年(1971)にできた加賀公園も加えた約1万2000㎡が、これからできる史跡公園の舞台です。

